参拝

神社に参拝するときの作法には、厳格な決まり(作法)というものは実はありません。
祈る気持ちが作法よりも大切である、ということです。
先人たちは、参拝という形を生活習慣として現在に遺してくれています。

基にあるものは「敬神崇祖(けいしんすうそ)」という価値観であり、神社で「四文字熟語」として見かけた方もいると思います。
「神道の基本精神」が「敬神崇祖(けいしんすうそ)」です。

深い意味は意識せずとも、私たちは神前で手を合わせ祈ります。
「敬神崇祖(けいしんすうそ)」の文字通り「神・祖先を敬い崇める」という意味があります。
ここでの「神」とは「八百万の神」のことであり、あなた自身も含まれます。

神社参拝は「願い事を伝えに行く場所」ではなく「今生きていることを感謝する場所」であり「祈る場所」です。

今回は、作法そのものではなく、神社参拝の根底にあるものを簡潔にお伝えします。

参道

私たちが神社に入る時、まず目にするのは「鳥居」です。

神社鳥居

鳥居は神社の外と内を分ける意味があるとされ「神域」であることを示しています。
「神域」とは、清浄を保つ場所。
清浄な場所に入り、参拝して清浄な場所からまた再出発するという、大げさに言えば「生まれ変わり」を確認する場所とも言えます。

鳥居をくぐると「参道」があります。
参拝する場所まで続く道です。
多くの参道には「玉砂利」が敷かれており、清浄な石を踏みしめて進むことによって心を鎮め、最高の状態で参拝ができるようになっています。

参道

「参道」は日本語で「さんどう」と言います。
同じ読みで「産道」がありますので「参拝するための道」だけではない意味があります。

神社鏡

参拝する場所には、鏡が置かれています。
「鏡」は「かがみ」であり、我(が・エゴイズム)を除くことで、「かみ」としての自分自身を確認します。

鏡に映る自分自身と向かい合い、自分を振り返るという大切な意味が込められています。

ありのままの素直な自分を認め、自分らしさを思い出し、すべてのことに感謝を感じられるようになる、という仕組みとして先人たちが遺した智慧でもあります。

もう一度参道を歩く

「参道」は日本語で「さんどう」と言い、同じ読みで「産道」があることをお伝えしました。

鏡を見て自分自身を振り返り、今日生きていることや起こっている事象に感謝し、もう一度素直な自分に戻り、日常生活に戻るという意味が込められています。



「鏡に映る自分自身を拝み、自分の行動を自覚する」

こうした想いを生活習慣として込めているのが神社です。

根源にある価値観は「元々人は清浄である」ということなのです。